2011年に創業し、間もなく10年目を迎えるMujin。その創業期や成長の過程秘話をMujin Storyとして数回に分けてお届けしていきます!
初回 Episode 1は「創業者 RosenとIsseiの出会い」。
アメリカ人の天才研究者Rosenと日本人のセールスエースIssei。二人はいかにして出会い、Mujinを創立することになったのでしょう。
違うバックグラウンドを持つ2人の創業者
Mujinの共同創業者でありCTOであるRosen。University of California, Berkeleyを首席で卒業し、修士を飛ばして Carnegie Mellon Universityで博士号を取得。「モーションプランニング技術」の権威者と言われています。
小さいころはゲーム作りに興味があったというRosen。しかし大学へ進むと、「世の中をよりよくしたい」そんな想いが強くなっていきました。「確固たる技術力はある。でもそれを使ってどんなことに貢献できるだろう」そんなことを考えていました。
一方、もう一人の共同創業者でCEOのIssei。大学時代をアメリカで過ごした後、伝説の投資家と言われるウォーレンバフェットが好きだったことから、彼が買収したイスラエルの会社ISCARに興味を持ち、入社。製造現場で使われる切削工具メーカーです。
当時からトップセールスとして活躍していたIsseiは、順風満帆なキャリアを歩んでいました。
始まりは2009国際ロボット展
今から約10年前の2009国際ロボット展。そんな2人が運命的な出会いを果たします。ロボットソフトウェア ROS でも有名なWillow Garageという企業のインターン生としてRosenは参加。Isseiは知り合いの頼みで、その日営業としてその企業を手伝うことになりました。
一緒にブースで立っている中で、RosenはIsseiのビジネスセンスにピンときたと言います。ものごとの本質・顧客のニーズを捉える能力。
「なにか始めるのであればIsseiと一緒だな」そうRosenは確信しました。
確信とは裏腹に
そこからRosenはIsseiに「一緒にビジネスをやろう!」と持ちかけます。しかし、そこには具体的なビジネスプランもありません。Isseiは、現職にも満足をしているし、丁寧にお断り……。
しかし、Rosenは諦めませんでした。国際ロボット展を終え、アメリカ帰国後もIsseiに連絡を取り続け、ビジネスをやろうと訴えます。
そしてあるとき、大阪の実家までIsseiを訪ねてきたのです。
その姿勢を見たIsseiは、「成功するかは分からない。でも、こんなにしつこくて情熱があるなら、失敗しても一緒にまた頑張れるかな」そう思い、一緒にビジネスをやることを決意しました。
ビジネスなんて最初から全部うまくいくことなんてほとんどない。失敗したときに、立ち上がれるかで成功が決まる。パートナーを組むならこのくらいエネルギーのある人がいい。そう思ったのです。
この技術は必ず世のためになる
「たった一度きりの人生。価値のある仕事に真剣に取り組み、世の中に少しでも貢献したい」バックグラウンドは全く異なる2人でしたが、共通する想いがありました。
「ロセンの技術がすごいことはよくわかる。でもどういう形で世に出せば、一番社会のためになるのだろうか」
事業構想を検証するため、日本のロボット会社や工場へ話をしにいく作戦を立てました。
しかし実際のところは、すぐに厳しい現実に直面。
まだ会社も設立していない2人がいきなり出向いても、なかなか話は聞いてもらえません。
「当時は製品なんてありません。ましてや会社名さえなく、何も実績のない若者2人が企業の経営層を訪ねたところで、なかなか話は聞いてもらえません。ようやく話ができたところで、君たち2人がロボットをティーチレス化する?信じられない、と帰されてしまった」とIsseiは振り返ります。
門前払いの日々が続きました…。
話を聞いてくれるのであれば、どこにでも会いに行く。そんなスタンスで、お盆休みを利用して渡米。
Isseiが運転をして、Rosenは車酔いを我慢しながら、横でデモンストレーションのためのプログラミング。アポも取れはじめ、意気揚々と各社へ話しに行きました。
しかし、実際に回ってみると、ほとんどの企業から否定的な意見が。
「40年間我々がやってきてできなかったことを、そんな2人ができるはずがない」
心から2人のことを心配して、辞めた方がいいと、親切心で言って下さる方もいました。
考えていたより簡単にはいかない….。
その中でも試行錯誤を続けた2人は、色々な企業と話す中で徐々に手ごたえを感じ始め、「この技術は、必ず世の中のためになる」と、確信を強めていきました。
続きを読む ⇒ Mujin Story #2:本格始動までの道のり