Mujin Story #3:世界から集まったドリームチームとMujinプロダクトの誕生 (2012-2014)

2011年に創業し、10年目を迎えたMujin。その創業期や成長の過程秘話をMujin Storyとして数回に分けてお届けしていきます!

Episode 3「世界から集まったドリームチームとMujinプロダクトの誕生」。 2009年の国際ロボット展で運命的な出会いを果たした創業者のRosenとIssei。Mujinを創業するまでの道のりは決して楽なものではなかったものの、2011年に創業し幸いにも初めてのお客さま獲得・資金調達を成功させることができました。前回の記事はこちら。
Mujin Story #2:本格始動までの道のり

今回は無事スタートを切ったMujinの、チームづくり・本社開設・プロダクトの誕生秘話をご紹介します。

3人目のメンバー Huanの参画

ちょうどMujinが初めての資金調達をした2012年夏。その頃、のちにMujin3人目のメンバーとなるHuanは、アメリカのMIT(マサチューセッツ工科大学)の大学院に在籍していました。

RosenとHuan

中国の上海に生まれ、中学のときにロボットに出会ってから一貫してロボティクスに熱中してきたHuan。ずっとロボットに関わっていたいという想いがありつつも、2010年の大学卒業当時、ロボット分野でビジネスとして成功している企業はほとんど見当たらず。結局院に進んで研究を進めつつ、社会人経験を積むため、大手ソフトウェア企業にて勤務していました。

Rosenには直接会ったことはありませんでしたが、ロボティクスの研究にあたって昔からよくオンラインで質問していました。いつ連絡をしても、丁寧に熱心に回答してくれる姿勢、そして何より知識の深さとロボティクスの実用化に対するRosenの情熱に、Huanは深く惚れ込んでいました。

そんな憧れのRosenから、「日本に来ないか?」と連絡。これといってないチャンスに、Huanはすぐに応えました。 Rosenのアパートに1泊し、2人で夜通し日本での知能ロボット開発ビジネスについて語り合いました。未だロボティクス技術は十分に実用化されていない。しかし、Rosenはそれを本気でやろうとしている。「これこそまさに自分がやりたかったこと!」Huanは完全に心を掴まれてしまいました。

Rosenと一緒に働くことができる。そして本当に自分がやりたかったことができる。Huanが仕事と大学院を辞め、日本へ引っ越してMujinに参画したのは、そのたった1か月後のことです。

本社開設

2012年9月。文京区小石川に、初めてのオフィスを開設しました。41平米のガレージにカーペットを敷いたもの。 現オフィスの1/350の広さです。

オフィス内にはロボットが並ぶこともあり、通り抜けができないことも。オフィスの奥にいる人と会話するために、一度オフィスを出て、反対側の入り口から入って話しかけていました。また会議スペースが十分になく、訪問者が来た際には、パイプ椅子を道路に並べて話すといったこともありました。

Huanを筆頭に、「ロボットを知能化して世界を変える」というミッションと創業者Issei・Rosenの情熱、優秀なメンバーに引き寄せられ、MITやStanford出身などのトップエンジニアが世界から集まってきました。学歴もさることながら、彼らの共通点は創業者と同じく「情熱」。ミッションに向かって全速力で駆け抜けるメンバーが創業期から揃っていたことで、一見不可能に思える難題もなんとか1つ1つ乗り越えていくことができました。

彼らの多くは日本に縁もゆかりもなく、「Mujinで働くために」引っ越してきました。当然周りに知り合いがいる訳でもなく、日本語も話せません。そんな彼らのために、Isseiはほとんど毎日ランチやディナーを作っていました。さらに食事だけでなくだけでなく、ビザ・銀行・家の契約…彼らが安心して日本で生活できるように、仕事に集中できるように、メンバーの生活に必要なもののサポートは何でもIssei自らやっていました。そしてもちろん毎日忙しい日々でしたが、その合間を縫って皆でビールフェスティバルに行ったり、観光をしたり、本当の家族のように東京の生活を楽しむことも忘れず。このファミリーカルチャーは、この頃から育まれてきました。  

Issei手作りランチ

多忙な日々

当時は今のようなプロダクトはなく、ロボットの軌道計算や最適化を図るソフトウェアを提供していました。スタートアップには珍しく、Mujinは早い段階からお客様を獲得することができていました。   しかし少人数で多くのプロジェクトを回すのは至難の業。数か月工場に泊まり込んだり、1日16時間以上働くのも当たり前。しかし当時から「現場主義」を大切に、現場で動くものを提供することにピンをとめて日々開発を進めていました。  

「毎週月曜日にお客様先の工場でシステムをアップグレードすることになっていたんだ。すなわち、日曜日の夜は毎週徹夜で開発。Isseiは、1~2時間睡眠。彼は朝僕たちを車で送らなければいけなかったから。」そう、Huanは振り返ります。  

1度目の本社移転

本社開設から1年9カ月。メンバーも増え、ロボットの増えたことで手狭になり、文京区湯島へ初めての本社移転をしました。

ここは元コンビニ。奥の扉を開くと、目の前に大型トラックがガンガン走っている、そんな環境でした。騒音が激しいこともしばしば……。でも広さはもとの2.8倍になり、ロボットを置くスペースや打ち合わせスペースも確保できるようになりました。

Mujinプロダクト「ピックワーカー」の先駆け

なんとか数々のプロジェクトをこなしてきたMujin。ある日、「ロボットのピッキングシステム」を作って欲しいと一人の男性がオフィスを訪ねてきました。もちろん即座に対応できる余裕は、Mujinにはありませんでした。しかし、そこから毎週木曜日の夜に、彼は決まってオフィスを訪ねてくるようになりました。ついにその熱意におされ、彼のためにピッキングシステムを開発することになりました。

ロボットは事前にプログラムされた動作を繰り返すものだったところ、リアルタイムで動作生成を可能にし、バラバラに箱に入れられた部品をプログラムなしでピッキングできるようにするという画期的なものです。当時は今とは違い、1つのものを取るのに40秒もの時間がかかるものとなりましたが、これがのちにMujinビジネスの主力となる「MUJINピックワーカー」の始まりとなりました。  

ポルトガルからの救世主

2014年の展示会「設計・製造ソリューション展(DMS 2014)」。Mujinはボルトピッキングの展示をすることにしていました。展示会の2日前にハードウェアが届き、ソフトウェアも完成し、さぁ動かそう、と思ったところで、どうにも動かない。どうもビジョンの問題のようでした。 当時Mujinにはまだビジョンチームがなく、Rosenがカーネギーメロン大学で一緒に研究をしていたエンジニアが、ポルトガルから遠隔でサポートしてくれていました。

Rosenは彼に電話。電話を受けてすぐ、彼は東京への次のフライト時間を調べ、空港へ。東京に到着したのは、展示会初日の朝でした。 展示会が始まる2時間の猶予の中で、彼は見事問題を解決し、デモは無事動き出しました。  

こうして彼は「Mujin Hero」と呼ばれるようになり、のちに正式にMujinへ主力メンバーとして参画しました。   このようにメンバー1人1人が全力を尽くし、数々の難題を乗り越えながら、Mujinは徐々に大きくなっていきました。  

続きを読む ⇒ Mujin Story #4:製造から物流に踏み出したきっかけ

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