2011年に創業し、間もなく10年目を迎えるMujin。その創業期や成長の過程秘話をMujin Storyとして数回に分けてお届けしていきます!
今回は Episode 2「本格始動までの道のり」。
2009年の国際ロボット展で運命的な出会いを果たした創業者のRosenとIssei。Mujinを創業するまでの道のりは決して楽なものではありませんでした。前回の記事はこちら。
Mujin Story #1:創業者 RosenとIsseiの出会い
今回は、そこから起業・初めてのお客さま獲得・資金調達までのストーリーをご紹介します!
ついに起業を決意
まだ事業構想も固まっていない段階。その検証をするため、日本とアメリカを駆け回り、ロボットメーカーや製造業の企業へMujinの技術をピッチしていきました。革新的な技術。これまでの常識を覆すようなソリューション。もちろん簡単に受け入れてもらえるものではありませんでした。
それでも各社を回ることで、多くの知見や事業戦略の改善点を得ることができました。日本へ帰国後、RosenとIsseiはその学びを元に、デモのブラッシュアップを重ねました。毎日朝の3時までデモの開発を進める日々。そんな生活を半年ほど続けたのち、ついに会社を興す決心をしました。最初の資金は自分たちで持ち寄った100万円。
2011年7月、こうして正式に会社を設立し、「株式会社MUJIN」をスタートさせました。(※2021年2月に株式会社Mujinへ社名変更)
社名は「無人化」と「無尽蔵」を掛け合わせたもの。(詳しくは、Mujinロゴに込められた想いとは?~ CTO Rosen インタビュー~で触れています。)
Never Give Up, Never Surrender
ある日、2人は大手ロボットメーカー、デンソーウェーブ様の前でデモをするという絶好のチャンスを得ました。もちろんそこに向けて全力で開発を進めていきました。しかし、実現しようとしていることも容易いものではありません。本番の日が迫る中、なかなかデモが動いてくれない…。どうしても、と事情を説明し、デモの日程を2週間延長してもらいました。
その2週間が終わろうとしているところ。依然デモは動かないまま。再度日程の延長をお願いすることなど、もうできません。
ついに、デモが動かないまま当日を迎えてしまいました。会場までIsseiが車を運転をし、その助手席で開発を続けるRosen。車内には緊迫した空気が流れます。
「20分でいい。会話をつないで時間稼ぎをしてほしい。」RosenはIsseiに頼み込みました。
そして迎えたデモ本番。IsseiはMujinの可能性についてプレゼンを始めました。なるべくたくさん話して引き延ばして… 時々Rosenの方に目を向けますが、必死にパソコン画面と向き合い、準備ができている状態ではありませんでした。
会場の方々もさすがに事態を察し始め、ざわざわ。
さすがにこれ以上は延ばすことができない。そう覚悟を決め、Isseiが謝罪をしようとしたそのとき、Rosenがデモのスタートボタンを押したのです。
そして奇跡的にもデモが動き出し、成功に終わりました!
この話は社内でも語り継がれており、この時の「Never Give Up, Never Surrender」(最後の1秒まで諦めない)という精神は、今のMujinを支える大事な企業文化となっています。
初めてのお客さま
デンソーウェブ様から助言を受け、その年末の2011国際ロボット展にて、1テーブルで、でデモ展示を行いました。MUJINとして正式に、初のお披露目となりました。
ロボット展のわずか2日前、思い立ったIsseiは、白いTシャツを2枚購入し、オレンジ色で「MUJIN」と刺繍を入れ、最初のユニフォームまで完成させました。
気合を入れて臨んだ当日。そこで、Mujinにとって最初のお客様となるキヤノン様に出会うことができました。
Mujinは小さな創業間もない企業だったにも関わらず、革新的な技術を使うことを前向きに捉え、信じてくださり、一緒にプロジェクトをやりたいとおっしゃってくださいました。
当時キヤノン様は工場の自動化を計画されていて、ロボットの位置と軌道を最適化するソフトウェアが欲しいとのこと。
2012年、Mujinは記念すべき最初の受注を得ることができました。
初めての資金調達
ソフトウェアで完結するビジネスと比べ、ロボット事業における会社運営にはさらに資金が必要となります。Mujinもこれから事業を進めていく中で、資金調達をする必要がありました。
Isseiは複数のファンドにコンタクトをとりました。
ちょうどリーマンショック後、経済は落ち込み人員削減が進んでいるところでした。工場は自動化を進める気力もなくクローズダウン。そんな情勢の中、Isseiが門を叩いたベンチャーキャピタルからは、「そんな製品は役立たない」と言われることがほとんど。
彼らにとっては、短期で1度に大きなリターンがあるようなアプリケーションやゲームビジネスの方が扱いやすい。Mujinのような地道な準備を重ねる必要のある重工業スタートアップは、あまり魅力的には映らなかったのです。
「正直かなり落ち込んだ。」とIsseiは言います。帰りの車はいつもお通夜ムード。
にも関わらず、Rosenの方はIsseiにいつもこう言っていました。「とてもいいミーティングだったと思う!僕の技術を知ってもらえた」
Rosenの技術に対する自信は確固たるもの。Isseiも、一度やると決めたら最後までやりきると覚悟を決めていた。「地獄までRosenと共に行く覚悟はできていた」とIsseiは振り返ります。
そんな強い覚悟も伝わり、Mujinの壮大かつ社会貢献性の高いミッションに共感し、検討して下さるベンチャーキャピタルが数社出てきました。ちょうどその頃、東大でポスドクをやっていたRosenが東京大学エッジキャピタル(UTEC)のことを知り、彼らにもプレゼンをしに行きました。
UTECのスピード感は他と比べて圧倒的でした。他が1か月以上かかるような検討プロセスも、デューデリジェンス含めて短期間で完了。すぐに資金がないと困る、という状態ではありませんでしたが、そのスピード感は一緒にやっていく上で大切だと思い、一緒にやっていくことを決めました。
そうして2012年8月、Mujinは東京大学エッジキャピタルから7500万円のシリーズA資金を調達し、いよいよ本格的に歩み出しました。